映画「ある町の高い煙突」を応援する会 代表 原田 実能
映画『ある町の高い煙突』の制作の話が飛び込んできたのは…確か2016年の春の頃だったかと思います。松村監督と城之内プロデューサーが訪ねて来てくださり「日立に桜が植えられて100年を記念して『ある町の高い煙突』を映画化したい」との相談でした。諸問題を整理しつつ、約1年の準備期間を経て2017年4月13日にプレス発表を行い多くの皆さまに知られるところとなりました。その頃より「応援する会」を立ち上げ、月一度の「大煙突会議」を行い、協賛金を募り、暗中模索の中で最適な支援体制を構築していく活動が始まりました。
実は私はこのお話をいただいた時、非常に熱いものを感じつつも、複雑な気持ちにもなったのです。日立で観光を生業にしていながらも、日立を象徴する「さくら」が植えられて100年になると言う大きな節目の史実を知らずにいたからです。愕然としました。毎年春になると、日立最大級のイベント「日立さくらまつり」が賑わいます。桜を植えてくださった先人の功績を顕彰する「桜塚」に毎年手を合わせ感謝の思いを伝えていましたが、植樹100年の年が来ている事に全く気づいていなかったのです。それから改めて「大煙突」と「さくら」について調べるなかで、この史実が、現在でもまちづくりの在るべき方向性を示してくれていると強く感じるようになりました。
ここで映画『ある町の高い煙突』の物語とその背景を少しだけ書いておきます。
現在人口約18万人の日立市も、110年前は約2,500人の小さな村でした。この小さな村の発展の基礎になったのが1905年(明治38年)創業の日立鉱山です。しかし、鉱山の宿命的課題とも言うべき煙害問題が深刻化し、周辺住民の暮らしや自然環境に打撃を与え、山々は禿山と化して行きました。その煙害対策として建られたのが「大煙突」であり、自然回復のために植えられたのが「さくら」なのです。そこには… 富国強兵、お国のためにという名のもとに、小さな農村の田畑や農民の利害など簡単に踏みにじれた時代にあって、煙害撲滅を粘り強く訴え続けた若者たちと、世界一高い煙突を建てて住民との共存共栄を目指した企業の決断が有りました。足尾や別子の悲劇が何故この日立鉱山では繰り返されなかったのか。ここに日立のまちづくりの原点があるのだと思います。それはさくらのまち日立の原点でもあり、企業の社会的責任の原点・ものづくりのまち日立の原点にもつながっていくのです。
私が学んだ…まちづくりの在り方の原点というべき内容を5つだけ示しておきます。
①甚大な環境被害に対し日立鉱山は、当時としては手厚い補償と汚染軽減設備への投資という対応で、住民との対立を回避。
②日立鉱山の「一山一家」意識を周辺地域全体に拡大し、それを基盤に企業を成長させるという明確なビジョンを持っていた。
③補償問題交渉の村民代表に関右馬允という温厚で才知ある若者がいたこと、鉱山側が煙害担当者として角彌太郎(かどやたろう)という逸材を登用したこと。
④関は、企業との直接交渉による共存共栄を基本的方針とし、日立鉱山に誠意が見られるならムシロ旗を連ねて騒ぐ必要はないという考えを持っていた。
⑤角は「法律の範囲内で対応するだけでは企業倫理が確立できず、事業の発展は望めない」という近代的なコンプライアンスの観念を持っていた。
さて、まちづくりの原点ということについて、少し思う処を述べさせて頂ければと思います。被害者と加害者。相入れるはずのない者たちが、勇気と忍耐を持って不可能と思われることに立ち向かい解決していった史実。わたしはこの若者たちの在り方にまちづくりの原点を感じ大変共鳴しました。核分裂と核融合と言う二つの核反応が有ります。核分裂は一つの原子が引き裂かれる時に出す大きなエネルギーです。ところが本来交わらない原子同士が交わると核融合が起こるのですが、これは無限に近いエネルギーを出します!核融合の代表的エネルギーが太陽です。そう! 日の立ち昇る美しいまち、日立の太陽です。まさしく100年前の若者たちは、勇気と忍耐で核融合の力を発揮したのだろうと思います。しかし現在、日立市は人口減少が進み新たな深刻な問題に直面しています。今こそ100年前の若者たちの在り方に習い、核融合的発想と行動力でまちづくりを行う時だろうと感じています。
残念ながら大煙突は1993年2月19日… 3分の1を残して崩壊してしまいました。78年間日立のまちのシンボルとして日立市民を見守り続けてくれた勇姿を見る事はもう出来ません。が!! 崩壊した時にこんな言葉を残した方がいます。「大煙突の高さは、先人たちの志の高さでもあった。姿は変われども、大煙突が訴えるまちづくりの心は不変である」。また「私の中の『ある町の高い煙突』」と題して、トークフォーラムを開催した時、小川市長は三位一体で進めるまちづくりを強調され、大井川知事は「企業と行政への抗議に終始するのではなく、広い視野に立って、建設的に物事を考えると色んな事が変えられる」とのメッセージを全国・世界に送り届けてほしい。」との印象的なコメントを下さいました。
この「大煙突」と「さくら」を通しての煙害対策と自然回復の在り方は、100年以上を経た今でも、世界的に稀な成功例として輝きを放っています。この誇るべき史実を軸に、昭和の文豪・新田次郎氏が書き上げた小説『ある町の高い煙突』が映画化されたのです。来年2019年初夏全国ロードショーとなりますので是非こぞってご覧下さり、日立の誇りをみなさんと再認識し共鳴し、共にまちづくりに励むことが出来れば幸いです。
原田実能様プロフィール
1959年広島県生まれ、うのしまヴィラ館主
奥様のご実家である鵜の島温泉旅館を継ぐために28年前に日立へ移住。2011年の東日本大震災の津波で旅館は甚大な被害を受け休業、そして2014年4月『うのしまヴィラ』として生まれ変わり、新たなスタイルの宿として展開中。
いばらき観光マイスターS級、野菜ソムリエ、上級BBQインストラクター
うのしまヴィラ:茨城県日立市東滑川町5-10-1 太田尻海岸
Tel:0294-42-4404 http://unoshima-villa.com