写真と私 山本 圭一(短電S34)(会報第22号(平成29年11月)より)

山本 圭一(短電S34)

 今になってみると、不思議なことも有るものだと思います。“しまった!”と思ったことが、ずっと後になってから“幸運だった”と分かる事も有るのです。
 私が60歳に近づいた頃、家内の母が突然入院したとの知らせを聞いて、びっくりして病院に行きました。それまで義母が病気をした話は聞いたことが無かったのです。
 病院のベッドに寝ていた義母は、私を見るとポチ袋を取り出して、「お小遣い。少ないけど受け取って。」と言うのです。これまた突然のことでびっくりしていますと「受け取っておきなさい。」と、家内がいつもと違う調子で云うので、気にしながらも有難く戴きました。
義母はそれから3か月程で静かにこの世を去って行きました。ポチ袋の中には、十万円が入っていました。まとまった金額なので何か記憶に残る物を買おうと考えました。
 当時、日立市神峰町に百貨店がありました。新聞が読み難くなったので老眼鏡を買おうか、腕時計の方が良いかな、などと思いながらその百貨店に行きますと、展示フロアーでカメラの展示即売会が開催されていました。一眼レフのカメラに初めて触りました。何となく手に馴染むような大きさと重量感のカメラでした。レンズ2本とカメラ本体合わせてちょうど十万円という値段に惹かれて買ってしまいました。
 家に帰ってから“しまった!”と後悔しました。老夫婦だけになった毎日にカメラの出番は無かったのです。これは無駄な衝動買いでした。義母に申し訳ないことをしたと、つらい気持ちになりました。
 常陸多賀駅前通りの写真屋さんには、高級カメラを持った写真愛好家が何人も出入りしていました。その中に知り合いの人が居ましたので、お願いして富士山や東北地方の桜などの撮影に連れて行って戴きました。しかし、私の撮影技術の幼稚なことはすぐに露呈しました。見かねた女性の写真愛好家が“カルチャーセンターの写真教室に行って初歩的な勉強をしてはどうか”と紹介してくださいました。写真教室の先生は雑誌の専属カメラマンのご経験が有るようでした。その先生は被写体を見つける天才ではないかと思いました。講義の後、神峰公園で撮影の実習をすることになり、日立駅前を出発して神峰公園に行きましたが、道端で先生が見つけた被写体を写しただけで、神峰公園に着くまでに36枚撮りのフィルムを3本も使っていました。フィルムはネガではなく、スライドで投影できるポジ・フィルムを使うように指導されていました。
 その年の秋、ポジ・フィルムで撮影した写真を、思い切って県展に出品したのですが、見事に落選しました。写真教室の先生に何が大切なのか聞いとところ、最も大切なことは“独創的”であること。次は“今の時代”を反映した作品であること。と教えて戴きました。写真には“今を記録する”という大切な役目があることを知りました。
 翌年、東京浅草の裏通りを写した写真が県展に入選し、安堵と共に先生に感謝しました。その後、先生の後押しで小さな写真グループを立ち上げました。グループ展も開催できをましたが、悲しいことに2回目のグループ展を終えると間もなく先生はお亡くなりになりました。
 仕方なく仲間だけで勉強会を続けましたが、経験が浅く技術も幼稚な私たちにとって指導者が絶対に必要だと痛感するに至りました。
 “この人こそは”と思う写真家が茨城県内に居られました。その方に水戸京成ホテルでお会いして、是非指導者になって戴きたいとお願いしましたが、引き受けて戴けませんでした。グループの勉強会を見に来て戴くなど接触を続け、「それ程熱心に言うならば。」と正式にご了解を戴いた時は、約1年が経過していました。
 この先生の素晴らしいことは“指導者ぶらない”ことでした。何時間も作品を見た戴き、ご指導を戴いた後「沢山の写真を見せて戴いて有難う。私も勉強になりました。」と先生がおっしゃるのです。私たちのような未熟な生徒の微かな才能を最大限引き出すことに力を注いで居られると感じました。
 その頃、私の誕生日に子供家族がデジカメをプレゼントしてくれました。初めは性能を疑っていましたが、やがてデジカメを主力に撮影するようになりました。
 県展も休まず出品していましたので、いつの間にか会友になり、会員になっていました。グループの仲間も次々会友になりました。県展のお仕事の手伝いをさせていただき、研修会と懇親会に参加するたびに、先輩達が抱いている写真に対する熱い気持ちを感じました。
 そこで“写真にならないような平凡な物を写真にしてみよう”と思い立ち、『我が街』と言うタイトルでプライバシーを尊重しながら日立市内の様子を写し、5年ほど続けて出品してみました。写真の記録性を大切にする気持ちもありました。
昨年から、田圃の様子を写して出品しています。頑張って稲作を続けている人たちが居る一方、ご高齢のために休耕し、あるいは田圃をソーラー発電のパネル置場にした”今“を写真の中に見て戴きたい気持ちからです。
 20年以上前に、お小遣いをくださった義母。カメラの展示即売会を開催していたお店。カメラを衝動買いして後悔した私。指導してくださった先生方と仲間たち。デジカメをプレゼントしてくれた子供。何かと応援してくれる家内。そうした人たちのお蔭で今の日常が有ります。私の人生は、自分の意志ではなく周囲の人たちが決めているのではないかと心配になっています。

(昨年の県展出品作品です)

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