河原撫子に寄せて 磯﨑 公郎(学原34)(会報第22号(平成29年11月)より)

磯崎公郎(学原34)

 寮生活を始めた娘の送迎に鹿島街道を往復した昭和50年代末、6月下旬の晴れた午後、旧大洋村半ばから眠くなる程単調な数キロの直線を過ぎ、旧大洋村の海岸を望む丘陵に差掛ると、道路沿いのなだらかに上る草地に、「河原撫子」と一目で分るピンク色の花が、目の覚める程印象に残っている。
 平成10年代初9月成田空港に向かう車窓から、あの草地にピンク色の花を探したが、残念ながら見付けられなかった。季節外れのせいだろうか。
 一昔前市内6号線石名坂の大斜面、245号線旧大みか工場前の斜面、県道砂沢付近の土手、また小里街道の日当りのよい傾斜地に群生し、梅雨明けの目映い日射しに、走行中でも此のピンク色の花を見ることができた。
ところが交通安全の美名のもとに、歩道整備等幅員拡大が進み、道路敷き急勾配化対策に石垣・コンクルート吹付け施工の結果、自生する草地や土手が消滅するに伴い、「河原撫子」も姿を消した。自然保護に調和する開発はないものだろうか。
 此の「河原撫子」はナデシコ科の多年草で、日当りと水捌けのよい草地・土手・河原等に自生する。茎は直立または斜上し、50~100cmに伸び、披針形の葉と共に緑白色を帯びる。6~9月花茎の先に3~5cmの5弁花を上向きに開き、花弁の先は糸状に深く裂ける。和名は「可愛らしい我が子を撫でてかわいがる」に基づき名付けられた。古くは万葉集の山上憶良の秋の七草に、撫子の花としてかぞえられ、陶器・漆器等美術工芸品の文様や蒔絵に数多く使われ、誰にでも親しまれる愛しい草花である。
 此の「河原撫子」は繊細な花形も然る事ながら、枝振りも楚々として風情に富み、籠花入に数種に添えて床に置くと、昼なおほの暗い静かな茶席に、ピンクの花がほんのりと浮び、いうにいわれぬ趣が漂う。このときの「河原撫子」に最も感銘を受ける。
ますます厳しさ募る昨今、おのれを見失いがちになるも、野の花を見つめおのれを見直す静かな一時を持ちたいものである。

河原撫子:カワラナデシコ(ナデシコ科ナデシコ属)


山地の草原や河原に生え、本州、四国、九州に分布する。その清楚な姿から意味を転じ、日本的な女性のことを大和撫子というようになったといわれる。近年では、環境の変化・外来種の影響などにより減少し、絶滅危惧種にして指定された地域もある。
花言葉は「大胆」「可憐」、品があって芯のある女性に贈りたい花言葉。

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